東京同窓会のホームページを開いたのが、この原稿を書くきっかけです。見ているうちに、東京同窓会が会則や組織を確立して新たなスタートをした十年前の平成二年(一九九〇年)四月二十四日のことが懐かしくなってメールを送ったところ、編集委員から「その頃のことを書いてほしい」と依頼されたのでした。 当時、私は仕事で東京と神戸を行き来していた関係から、昭和五十九年に設立された関西福中・福高同窓会の設立経緯や会則のことなど知っていたこともあって、東京同窓会の新スタートのために、その辺の話を求められたのでした。 そこで話したのは、関西同窓会設立の発端が当時の「一の会(関西にも同窓会を)」の音頭で、高八回生が中心になって同窓会名簿や電話帳から関西在住の同窓生約八百人を調べ上げて五月のメイフラワー号船上で盛大に設立総会を開催したこと。そうしたなか、当時の大隈壯介会長(年中三回・現東京会員)の指導の下、週に二、三回も集まり練りに練った会則を完成させたことなどでした。現在の東京の会則は、この関西の会則がベースになっているのです。 また、当時は私も総会の幹事をやりましたが、大スクリーンを使った母校の体育祭の応援シーンや博多山笠の模様など放映した際の、皆さんの懐かしいいっぱいの歓声は今も忘れられない思い出です。東京同窓会の歴史ではありますが、もう一つご紹介しますと、関西同窓会のUターン組が中心となって博多に「関博会」を結成して、毎年、母校の同窓会総会前日の土曜日に盛大に集まっています。皆さんの参加も歓迎します。最後に、東京同窓会の更なる隆盛をお祈りします。 (在博多・高12回・久木田毅) ・・・ 続きを読む
高12回卒同窓会 タイムスリップの楽しい時間を共有 【東京あさぼらけ第2号】
卒業後二十年目に有志の呼びかけで関東在住者たちの同窓会が始まりました。それ以来、卒業回にちなんで「十二(トフ)会」と命名して、ほとんど毎年集まっています。徐々に名簿も整理され、関東一円に同期卒業生の約三割が数えられています。 それぞれの帰郷時や仕事関係での往来等で地元福岡との交流も多く、特に“失敗系の出来事”は、すぐに全体に広がる覚悟が必要とも囁かされています。 昨年は十二月二日、学士会館で二十五人参加の下、衆議院議員の渡辺具能君(三年余前の選挙戦の折には関東勢も大いに盛り上がったものです)の乾杯の音頭と、渦中の人・プロ野球巨人軍球団代表、山室寛之君の挨拶で開宴し、学生時代にはよく知らない者同士だったり、また何十年ぶりの再会であっても、一堂に会すと同じ学校で同じ時代を過ごした者として、一挙にタイムスリップして特有の楽しい時間を共有しました。加齢とともに酒量も少しずつ控えながら、健康に留意して次回を期そうと校歌を唱で二次会へと流れていきました。 (小松紘一記) ・・・ 続きを読む
4月の同窓会総会の成功に向け昨夏の“決起集会”に36人も参加【東京あさぼらけ第2号】
古賀成治(高17) 関東地区の福高十七回生同窓会は例年七月の最終土曜日に開催していますが、平成十一年七月三十一日、東京麹町「ふくおか会館」で行いました。福岡から安東治先生にお越しいただいたのをはじめ、北は帯広から南は博多までの同窓生総勢三十六人という賑わいで、しかも、遠方の参加者が多かったのにもかかわらず、出席した全員が二次会にまで参加するなど、今までにない盛り上がりを見せました。 この四月には、私たち十七回生が東京福中・福高同窓会総会の当番幹事を二十七回生と共に務めなければなりませんので、総会準備のスタートに当たっての決起集会ともいうべき会となり、関東以外の遠方からの仲間が激励と支援に駆けつけてくれました。福岡からは白石正彦君と古川正敏君、広島から安永壽壮君、名古屋の高橋雪雄君、さらに帯広からは川内重美君が来てくれました。 この日、千葉の幕張では「GLAY20万人ライブコンサート」、隅田川では伝統の花火大会があり、東京は三十五度の炎暑。同窓会場は、それに負けず劣らず熱く盛り上がりました。 開会に際して、まず、七十五歳の今も変わらずスマートでダンディーな安東先生から「五十歳を超した君たちも、いつまでも若いわけでない。これからは健康に留意して、悔いのないよう社会、家族のために頑張ってほしい!」と激励のご挨拶をいただいた後、永久幹事の白石君から福岡の近況報告があり、彼の乾杯の発声で開宴しました。 さらに古川君からは、パキスタンとアフガニスタンで医療活動に尽力している同期の中村哲君の「ペシャワール会」への一層の協力要請と、総会の成功に向けての檄が飛びました。 そして、初参加組の青井健二君、笹進君、坂本洋一君、山田潤一君、津崎(旧姓勝木)公子さんに、それぞれ近況報告してもらい懇親を深めました。一方、門田先生をはじめ、出張や仕事、家事の都合などで出席できなかった同窓生たちからの返信葉書をすべてコピーして出席者全員に配布、その「近況報告」「出席できない理由」「同窓生へのメッセージ」などに懐かしく見入っていました。 二時間余の懇談後、東京と名古屋で教鞭をとっている声楽家の川田良三君指導による校歌斉唱に引き続き、応援歌を遠来の白石君たちの音頭により歌い納め、一次会はお開き。二次会は、赤坂東急ホテル「花のれん」に会場を移し、一丸勇彦君の進行のもと全員が握り炬燵式の個室で膝を交えながら話に花を咲かせました。 ・・・ 続きを読む
平成11年度9月末現在 年会費納入状況の推移 【東京あさぼらけ第2号】
―元勘定奉行より― 年会費は活動の貴重な血液・・・ 続きを読む
女房も呆れる我らが「付き合いの濃さ」 【東京あさぼらけ第2号】
八久保弘之(高9) 会社を北九州市・戸畑に移すと同時に八幡に単身赴任してから早いものでもう一年が過ぎ、夫婦二人で福岡町に住まいを移してからも半年を超えました。 当地での一年は、活気はあったものの雑務に追われて過ごした東京とは全く別の生活です。まず、人情に厚いものを感じる場面が多いことです。次にラッシュアワーの時の混雑度の違うこと。毎日座って通っています。また魚が新鮮で安いこと。先日、居酒屋でカンパチを頼んだら、たった千七百円で何と半身が刺し身、残りの半身が握り寿司、頭と骨がみそ汁で出てきました。これには、ただただ感激の一言。 九回生は九栄会と呼んでいますが、この付き合いがホントに多いです。年一回の九月九日の例会は勿論のこと、年三回のメモリアル・クラシックゴルフコンペ、十二月は当然のことながら忘年会、新宮松比古君(福岡県議会議員)の選挙があると応援に集まり、何となくても「みずかみ」に行けば、九栄会の誰かが飲んでいる。 この付き合いの濃さには、女房が呆れています。先日も同窓生夫婦と九州場所の相撲を見てから、ここで他同窓生と一緒になり、それが縁で柴犬の子をもらうことになりました。今日、その子犬がわが家に来て、今「くーんくーん」と甘え鳴きをしています。カワイイ! さて、最後にお願い事です。一昨年は広報委員長として、皆さんの応援を得て『東京あさぼらけ』の予告号と創刊号を発行しましたが、私の転任後一年間発行をパスしたと聞いて誠に残念です。私のような素人でも、皆さんの協力で曲がりなりにも発行できたのですから、かつて福高時代に新聞部で活動された方々、社会に出てこの方面で活躍の方々、経験がなくてもひとつやってやろうと意欲のある方々に、ぜひ『東京あさぼらけ』の発行を続けていっていただきたいものです。 ・・・ 続きを読む
なんばしよっと-元気印も初めて入院・手術を体験。でも何かを始めたい 【東京あさぼらけ第2号】
水月和子(高4) 人から「元気印」と言われ、私自身も健康だけは人並み以上という思い込みから年も考えずに飛び回っていましたら、一昨年春、同窓会総会を目前にして突然、心臓の弁が壊れるという事態が生じ、生まれて初めて入院、手術、療養生活を体験しました。少しの手遅れで命を無くしていたかもしれない、と後で聞かされ、健康を過信するものの怖さと体力の限界を知りました。 「今まではウサギのように跳ね回っていたけれど、これからは亀のあゆみを」とは同級生の一人からの、ありがたい忠告でした。この言葉を心して、今は仕事を持つ娘の子育てを手伝いながら元気に過ごしています。 私たち高校四回卒業生は、昨年「還暦の出会いから五十年」を迎え、秋に記念の同窓会を開きました。いつの間にかシルバーエイジの仲間に入り、久しぶりに参加して懐かしい友達に会い、顔を合わせた瞬間はお互いに年を取ったなと感じましたが、そこは同級生、話しているうちにタイムスリップして十代の昔に帰り、楽しく賑やかなひとときを過ごしました。 体力や記憶力は年とともに低下しても、日だまりで背を丸めて過ごすようにはほど遠く、まだみんな意欲、活力は若々しく元気でした。その若さを長く維持していくためにも、積み重ねてきた貴重な知識や体験を出し合って、世の中、人のため、自分のために何か始めようという話も出ました。 縁あって「東京福中・福高同窓会」のお手伝いをして参りましたが、故郷を離れて暮らしている私たちの、ひとつの心の拠り所となるこの「東京福中・福高同窓会」が、時が違っても同じ福高で過ごした先輩、後輩との新しい出会いの場となり、縦の繋がりを強めて、ますます発展し充実していくことを心から期待しています。 ・・・ 続きを読む
恒例行事として定着した学年同窓会ホームページも開設 【東京あさぼらけ第2号】
野田邦弘(高22) わが福高二十二回生は、同二十三、二十四回生と一緒に、一九九七年の東京福中・福高同窓会の幹事、盛り上げを担当しました。この同窓会を盛り上げるため、成功させるため、二十二回生独自の集まりを行いました。(幹事は鳥飼辰登、鍛冶文枝=旧姓豊福)。 運営費を徴収し、幹事を持ち回りとするなど学年の恒例行事として定着したと思います。毎回二十人程度の参加があり、高校卒業以来二十数年ぶりに再会するケースも多く、毎回誰が参加するか楽しみです。また、女性だけの集まりも何度か行ったそうです。 なお、二十二回生のホームページも右のアドレスで開設しましたので、ぜひご覧ください。 ホームページのアドレスは http://netpassport-wc.netpassport.or.jp/~wfukkou/K22/K22PAGE.HTM ・・・ 続きを読む
博多だより-母校校舎に晴れの「福岡市都市景観賞」 【東京あさぼらけ第2号】
思い出深い母校の校舎が昨年十一月九日、「福岡市九九年度都市景観賞」に選ばれました。この賞は十三年前に創設され、都市空間を演出する優れた建物や企画などを表彰するもので、市民から対象を募集しています。今回は過去最高の九百五十八通の推薦が寄せられ、母校校舎は九州大学事務局第一庁舎、福岡簡易保険事務センターなど他の七件とともに選出されました。 母校の校舎は昭和四年に竣工、七十年の風雪に耐えて幾多の同窓生を迎え、そして見送ってきました。人間ならぬめでたく古希を迎えたことになりますが、まだまだ十分な耐久性を持っているとのことです。昔の良い建物が博多の町から次々と消え去っている今日では、母校の校舎は貴重な歴史的建築物です。 在学中、「この校舎が建った頃は、県内はもちろん県外からも多数の見学者が見学に訪れた」と聞いたのを思い出します。維持管理には関係者皆さんのご苦労も多いことでしょうが、これからも長くその懐かしい姿を私たちの前にとどめてほしいと願っています。校舎の外壁は美しくなり、門扉は新調され、さらに中庭(パティオ)には同窓生の外尾悦郎さん(高二十五回)制作の素晴らしいモニュメントも。博多へ帰省された時は、ぜひ訪ねてみてください。 (高16回・広報委員・・・ 続きを読む
「東京福中一八会」の始まり(創刊号続き) 【東京あさぼらけ第2号】
ラガーマン最高の栄誉「キャップ」の友と…… 諸岡健治郎(高1) 初回の会合からしばらくして、幹事役をしてくれた渡辺哲司君が日立製作所の子会社の社長として栃木県へ転勤することになったので、その壮行会を兼ねて昭和五十八年二月十七日に湯島の玉善という小料理屋に集まりました。その顔触れは大石勇吉、片山伸也、國崎一郎、志波正孝、田渕靖昌、土屋英明、平野治、帆足昭蔵、三亀順蔵、宮石哲郎、宗像博人、諸岡健治郎、渡辺哲司の各君、それにその日、福岡から上京して来ていたラグビーの宗博之君も加わり、十四名となりました。 当日は土屋英明君が、ラグビーの「キャップ」(国代表チーム同士の公式国際試合に出場した選手に与えられるラガーマン最高の栄誉)の授与を受けて間もない時期だったので、「どんなものか」という同期生たちの要望に応えて、照れながらも現物を披露してくれたのです。同席者も、またとない記念だと互いに被りあったりして会が盛り上がったものでした。 そして、昭和十八年入学の我々の集まりを「東京福中一八会」と正式に名付け、会長には昔からのガキ大将がよかろうということで、土屋君が引き受けさせられたのでした。そして、いつもの調子で「今度の一八会は、もう少し広かところでカラオケば置いてパーッとやろうや」とか、「オキユウトば切らせるけん、二次会に行こう」など大いに語り合ったのです。 が、思えば、それが彼との最後の会話となってしまいました。彼はその年の六月十三日、心不全のため突然逝ってしまったのでした。まだ五十四歳の働き盛りでした。 ※前号で紹介した築地の新三浦での同窓会の出席者に大石勇吉君の記載を漏らしていました。お詫びして訂正します。 ・・・ 続きを読む
東京福中・福高同窓会ホームページへどうぞアメリカからも「懐かしかぁ!」 【東京あさぼらけ第2号】
加藤忠夫(高15) 東京福中・福高同窓会ホームページを開設して、もう三年に入ります。三年前の同窓会総会担当が五回、十五回、二十五回卒業に回って来た際の準備の会合の席で、いかにすれば総会出席者を増やせるかで議論になり、「宣伝が必要だ!」「若い人に来てもらうには、ホームページが一番よい」「じゃ、ホームページを作成したことのある人?」、そのとき迂闊にも小生「ハイ!」。その結果、「では加藤さん、ホームページの作成をお願いします」という安易な動機と安易な人選で同窓会の臨時ホームページを開設してしまったわけです。 それがいつの間にか同窓会の正式ホームページとなり、予算までついて今日に至っています。開設当時、どれほどの効果があるのか全くの未知数でしたが、日を経るにしたがって少しずつ訪問者が増えて、アメリカから「異国の地で懐かしく拝見しました」とか、大学の先生から「助手の募集記事を載せてほしい」など、実にいろいろの方たちから連絡をいただいています。 住所変更・登録等も当初はどれほど希望が来るのか心配していましたが、結構ポツポツ入ってきます。同窓生のホームページへのリンクも少しずつ増えています。 私の夢としては、東京の福岡の同窓会でホームページを開いていただき、住所録などはそこで一元管理して、各地域のホームページは地域の同窓会活動の核となり、会員の交流の中心として位置付けていきたいのですが……。それに、もっと世代間の交流を盛んに出来る場を作っていきたいと願っています。最後に、ページの運営に協力していただける方、連絡をください。また、こんなことをやって欲しいなどのご意見もぜひお寄せください。 ・・・ 続きを読む