東京あさぼらけ新聞 第5号です。スマートフォンの方でダウンロードしたい方や下記のPDFビューアーが正しく表示できない方はこちらからPDFへ直接リンクしています。 ・・・ 続きを読む
東京あさぼらけ新聞 第4号〈発刊:平成14年3月1日〉
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東京あさぼらけ新聞 第3号〈発刊:平成13年3月1日〉
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編集後記 【東京あさぼらけ第2号】
◆今回は委員長ナシでの発足。その苦境を救ってくれたのが高14回の柴田さん。同期の福士さんという編集のプロに声を掛け、ご覧の紙面が出来上がりました。次号もより充実させるため、同期でご活躍の方の情報などお寄せ下さい。(原口) ◆同窓会事務局にパソコンを入れて、「東京あさぼらけ」をパソコンで編集・制作しようと思うからホームページ担当を手伝ってほしいと言われて、気が付いたら広報委員会に毎回出ている自分でした。(加藤) ◆田中大先輩には敬服するのみ。小野さん、福岡県副知事の小野寛子さん(高6)など女性が大活躍。在校生の松尾梨沙さんも全日本学生音楽コンクール(九州・山口)ピアノ部門で第二位。頑張らねば……。(齋藤) ◆今号も集まりました。会長のおっしゃるように「継続は力なり」です。東京あさぼらけを継続発行し、発展させるには同窓会諸兄のご協力が必要です。今後とも宜しくお願いします。(柴田) ◆小野さんのマザーテレサ像から「愛の反対は無関心」との彼女の言葉が浮かぶ。世界に殺戮や悪が絶えぬのは人々の無関心によると。同窓中、中村哲さんの実践もそう教える。(福士) ・・・ 続きを読む
平成11年度・東京同窓会総会当番幹事報告 【東京あさぼらけ第2号】
盛況だった総会の舞台裏奮闘記あ・ら・かると 土井 健二(高26) 平成十一年度の東京福中・福高同窓会総会が、四月十五日、市ケ谷のアルカディアで盛大に開催されました。その時の様子は、福高通信「朝ぼらけ」(平成十一年十一月一日号)で報告させていただきました。今回は、その当番幹事の同窓会総会開催までの苦労話(?)をご紹介します。 平成十一年度同窓会総会当番幹事は、福高十六回生、十六回生および二十六回生。例年、総会には約三百名が出席しますが、上は福中一回生から下は大学生までと年齢層が広く、その意味もあって三世代にわたる卒業生が当番幹事を務めることになっています。 その第一回幹事会は平成十年九月十六日。前年幹事の五、十五、二十五回生の皆さんに参加していただき、幹事会の運営方法や注意点など細かいアドバイスを受けました。その後、ほぼ毎月一回の頻度で約二十名程度が集まり、準備を進めました。 会場は例年と同じアルカディア、講演者をラグビーの森重隆さん(高二十二回)にお願いし、その結果モチーフをラグビーにすることを最初に決定。幸いにも幹事の十六回生のラグビー部卒業生を通じてお願いし、森さんの快諾をいただきました。 それを受けて総会案内は、マンガ家の長谷川法世さん(高十六回)にラガーマンのイラストを、また会場の受付には、建築家の磯矢亮介君(高二十六回)にラグビーをテーマにしたオブジェ作品の展示をお願いしました。 幹事会でもめたことの一つは物品販売の問題でした。明太子やおきゅーとなどの販売は、同窓会を盛り上げるにはもってこいの企画ですが、食品や金銭の取り扱い、売れ残り等の問題があり、当初は消極的意見が多数でした。しかし、ある明太子メーカーが、すべてを引き受けてくれて解決しました。 また、苦労したのは若い世代への連絡でした。当番幹事には三十六回生や四十六回生は参加していません。彼らは現在三十四歳と二十四歳、関東地区にも多数の人が在住しているはずです。しかし、そうした若い世代については組織や名簿の整備が不十分で、連絡は困難を極めました。できれば、卒業時に同窓会組織の紹介や、登録をお願いするなどの組織作りが行われることが望まれます。 さて、いよいよ年も明けた平成十一年二月、総会開催の通知を発送。幹事会の議題も当日の具体的な進行が中心になりました。会場の準備、総会の司会、講演会の進め方、そして懇親会の進行などです。総会当日は、午後四時に幹事が控室に集合、配布資料の準備、進行の最終確認を行い、午後五時から受け付け開始。幹事一同さまざまな思いのなか、半年以上をかけて準備してきた同窓会総会がいよいよ始まったのです。 まず同窓会総会の議事も無事終了、大盛況の森さんの講演会に続いて最後は懇親会。時間わずか二時間十分でも、非常に密度の濃い懇親会だったと感じました。 幹事の皆さん、本当にご苦労さまでした。それに、幹事以外でご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。さまざまな分野で活躍されている卒業生皆さんの力をお借りて、何とか無事に終えることができました。次回も楽しい同窓会総会になることを祈りつつ、報告を終わります。 ・・・ 続きを読む
平成12年度・東京同窓会総会幹事報告4月28日を「世代を超えた呑み会」に! 【東京あさぼらけ第2号】
大屋龍二(高27) 四月二十八日(金)、市ヶ谷・アルカディアで開催される平成十二年度、東京福中・福高同窓会総会開催の準備がスタートしたのは、十一年度の総会が催された翌月、昨年五月のことでした。前回の二十六回生幹事、黒永哲至さんの経験を踏まえたありがたい助言があったからです。「来年の総会準備を円滑に進めたいとなら、早く取り掛かった方が絶対よかけん」とのアドバイスでした。 早速、今回幹事(高17・27回)代表数名と前回幹事の間で引き継ぎを行いました。過去三年の資料も預かり、六月には一回目の幹事会の場を設けました。内田省三さんをはじめ17回生の先輩方、一丸勇彦さんたち17回生有志が一堂に会し、ざっくばらんな意見交換を行いました。これをきっかけに毎月一回の定例会を開くことになり、次回総会の日取り、方向性などが決まっていきました。 各回の出席者の意見は見事なまでに一致しました。「年に一回の同窓会なんだから、じっくり呑もう。話そう」――。こうして、十二年度の懇親会の大枠は「講演会を行わない、世代を超えた呑み会」に固まったのでした。 ・・・ 続きを読む
編集部のメモ帳から 同窓会活動の発展に若い世代の力を 【東京あさぼらけ第2号】
「東京あさぼらけ」に二十、三十代の若い世代の声を、と編集部でツテや名簿を頼りに探し回ったものの締め切りまでに成果を得られず、今号は登場いただけなかったのが残念です。 この世代は、独身者やまだ家族が少ない人が多く、また仕事でも移動(異動)が多いためか連絡が取りにくいのです。例えば、平成九年四月現在の同窓会名簿で三十代前半の三十六回(昭和五十九年卒)と三十八回(同六十一年卒)の三十五人を任意に選び、平日の午後八時~十時の時間帯に電話したところ、連絡が取れたのは二人だけ。不在者以上に名簿発行後の三年弱の間に転居している人が多くなっていました。 また、連絡の取れたお二人も「名簿や同窓会新聞は来ていないので見たことがありません」「東京に同窓会があったのですか」と。同窓会活動に若い力をどう吸収していくか、大きなテーマのようです。会員の皆さんのご意見やご提案を。 ・・・ 続きを読む
同窓会ミニ歴史東京同窓会の新スタートの頃 【東京あさぼらけ第2号】
東京同窓会のホームページを開いたのが、この原稿を書くきっかけです。見ているうちに、東京同窓会が会則や組織を確立して新たなスタートをした十年前の平成二年(一九九〇年)四月二十四日のことが懐かしくなってメールを送ったところ、編集委員から「その頃のことを書いてほしい」と依頼されたのでした。 当時、私は仕事で東京と神戸を行き来していた関係から、昭和五十九年に設立された関西福中・福高同窓会の設立経緯や会則のことなど知っていたこともあって、東京同窓会の新スタートのために、その辺の話を求められたのでした。 そこで話したのは、関西同窓会設立の発端が当時の「一の会(関西にも同窓会を)」の音頭で、高八回生が中心になって同窓会名簿や電話帳から関西在住の同窓生約八百人を調べ上げて五月のメイフラワー号船上で盛大に設立総会を開催したこと。そうしたなか、当時の大隈壯介会長(年中三回・現東京会員)の指導の下、週に二、三回も集まり練りに練った会則を完成させたことなどでした。現在の東京の会則は、この関西の会則がベースになっているのです。 また、当時は私も総会の幹事をやりましたが、大スクリーンを使った母校の体育祭の応援シーンや博多山笠の模様など放映した際の、皆さんの懐かしいいっぱいの歓声は今も忘れられない思い出です。東京同窓会の歴史ではありますが、もう一つご紹介しますと、関西同窓会のUターン組が中心となって博多に「関博会」を結成して、毎年、母校の同窓会総会前日の土曜日に盛大に集まっています。皆さんの参加も歓迎します。最後に、東京同窓会の更なる隆盛をお祈りします。 (在博多・高12回・久木田毅) ・・・ 続きを読む
高12回卒同窓会 タイムスリップの楽しい時間を共有 【東京あさぼらけ第2号】
卒業後二十年目に有志の呼びかけで関東在住者たちの同窓会が始まりました。それ以来、卒業回にちなんで「十二(トフ)会」と命名して、ほとんど毎年集まっています。徐々に名簿も整理され、関東一円に同期卒業生の約三割が数えられています。 それぞれの帰郷時や仕事関係での往来等で地元福岡との交流も多く、特に“失敗系の出来事”は、すぐに全体に広がる覚悟が必要とも囁かされています。 昨年は十二月二日、学士会館で二十五人参加の下、衆議院議員の渡辺具能君(三年余前の選挙戦の折には関東勢も大いに盛り上がったものです)の乾杯の音頭と、渦中の人・プロ野球巨人軍球団代表、山室寛之君の挨拶で開宴し、学生時代にはよく知らない者同士だったり、また何十年ぶりの再会であっても、一堂に会すと同じ学校で同じ時代を過ごした者として、一挙にタイムスリップして特有の楽しい時間を共有しました。加齢とともに酒量も少しずつ控えながら、健康に留意して次回を期そうと校歌を唱で二次会へと流れていきました。 (小松紘一記) ・・・ 続きを読む
4月の同窓会総会の成功に向け昨夏の“決起集会”に36人も参加【東京あさぼらけ第2号】
古賀成治(高17) 関東地区の福高十七回生同窓会は例年七月の最終土曜日に開催していますが、平成十一年七月三十一日、東京麹町「ふくおか会館」で行いました。福岡から安東治先生にお越しいただいたのをはじめ、北は帯広から南は博多までの同窓生総勢三十六人という賑わいで、しかも、遠方の参加者が多かったのにもかかわらず、出席した全員が二次会にまで参加するなど、今までにない盛り上がりを見せました。 この四月には、私たち十七回生が東京福中・福高同窓会総会の当番幹事を二十七回生と共に務めなければなりませんので、総会準備のスタートに当たっての決起集会ともいうべき会となり、関東以外の遠方からの仲間が激励と支援に駆けつけてくれました。福岡からは白石正彦君と古川正敏君、広島から安永壽壮君、名古屋の高橋雪雄君、さらに帯広からは川内重美君が来てくれました。 この日、千葉の幕張では「GLAY20万人ライブコンサート」、隅田川では伝統の花火大会があり、東京は三十五度の炎暑。同窓会場は、それに負けず劣らず熱く盛り上がりました。 開会に際して、まず、七十五歳の今も変わらずスマートでダンディーな安東先生から「五十歳を超した君たちも、いつまでも若いわけでない。これからは健康に留意して、悔いのないよう社会、家族のために頑張ってほしい!」と激励のご挨拶をいただいた後、永久幹事の白石君から福岡の近況報告があり、彼の乾杯の発声で開宴しました。 さらに古川君からは、パキスタンとアフガニスタンで医療活動に尽力している同期の中村哲君の「ペシャワール会」への一層の協力要請と、総会の成功に向けての檄が飛びました。 そして、初参加組の青井健二君、笹進君、坂本洋一君、山田潤一君、津崎(旧姓勝木)公子さんに、それぞれ近況報告してもらい懇親を深めました。一方、門田先生をはじめ、出張や仕事、家事の都合などで出席できなかった同窓生たちからの返信葉書をすべてコピーして出席者全員に配布、その「近況報告」「出席できない理由」「同窓生へのメッセージ」などに懐かしく見入っていました。 二時間余の懇談後、東京と名古屋で教鞭をとっている声楽家の川田良三君指導による校歌斉唱に引き続き、応援歌を遠来の白石君たちの音頭により歌い納め、一次会はお開き。二次会は、赤坂東急ホテル「花のれん」に会場を移し、一丸勇彦君の進行のもと全員が握り炬燵式の個室で膝を交えながら話に花を咲かせました。 ・・・ 続きを読む