藤田公市(中学23回)

私は引退した鉱山技術者です。日本の会社を55歳で定年退職、その後、縁あってカナダのカルガリー市でコンサルタントとして10年。その後もカナダの家を維持しているので、最低年2回カナダとの往復を続けています。その私に編集部から何か書けと言われて些かならず困惑しましたが、考えた挙げ句、引退後のボランティア人生を書いてみようかと思います。
日本での現役時代はボランティアの仕事は皆無に近い仕事人間でした。時間的余裕もありませんでした。
カナダでは社会全体がボランティアに満ち満ちています。そんな環境の中で、二世の友人の強い勧めもあり、日本語学校での大人のクラスを教えることになりました。このクラスが出来たのが1985年で、88年の第15回冬季オリンピック開催に備え、主として日系人のボランティアを目指す人々を対象にするものでした。
いよいよボランティアの募集が始まったとき、教え子と言うよりも親しい友人になった人たちが応募するのを見ていて、私も傍観しているわけにはいかなくなりました。そこで、私も応募しました。2回のインタビューを受け、通訳として採用されます。本番では私は滑降の会場ナキスカに配置されました。大会中は身分証明カードを首に下げ、市内の公共交通機関は一切無料、朝食、昼食は支給されました。早朝から夜まで、全く無料の奉仕でしたが、私の一生の中では最も思い出深いものの一つです。
カルガリーでは、ジャンプやルージュが行われた場所をオリンピック・パークとして有料で公開していますが、私たちボランティア参加者は生涯入場無料となっています。また、場内の大理石の壁には全ボランティアの名前が彫り込まれ、私の名前もあります。
日本ではボランティアの機会は少ないのが実情ですが、5年前に三井Vネットというグループが結成され、私もそれに参加しました。以来、毎週1回の東京都広尾の日赤医療センターでのボランティアに参加していますし、東京チャリティ協会の行うイベントでの奉仕などにも可能な限り参加しています。
また、これは全く個人的なものですが、やはり5年前に偶然出会いした、当時大学2年生の全盲の女性を、色々な形でお助けしています。初めは点字で書いたり、本を読みテープに録音してあげるなどしていました。しかし最近は、お互いにパソコンを使うことで、私が送るメールを彼女が点字で読むことも出来るし、音声に変換して聞くことも出来ます。彼女からもメールで送信が出来るという状況になり、さらに、日赤のボランティア仲間の中に雑誌『文藝春秋』を毎月点訳しておられるグループがあることが分かってからは、その点訳をメールで送信して頂き、私からメールで転送するという作業を続けています。彼女は大学卒業後は千葉県庁に職を得て千葉市でのマンション暮らしですが、私との交流は絶えません。
私も今では77歳。残り少ない人生、若い人たちの重荷にならないよう、体力の許す限り自分なりに出来ることはやっていこうと考えているところです。最近、地元の中学で行われる大人のための英会話教室なるものがあり、その助っ人を頼まれて数回出席しましたが、ここでも地域の方々との新しい交流が生まれそうで楽しみにしています。特にメル友が出来るのが楽しみです。

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