近著『家族を「する」家』が反響を呼んでいる芥川賞作家・藤原智美さん(高26回)に聞く
高26回卒の芥川賞作家、藤原智美さんが昨夏出した『家族を「する」家』(プレジデント社)が、前作の『「家をつくる」ということ』(同)に続いて大きな反響を呼んでいます。夫婦、親子関係など家族・家庭のあり方、つまりは社会と人間の根本的なあり方を問いかける両著が、さまざまな情報が氾濫するなかで、逆にもともとコミュニケーションを失い、混迷の中で「ゆらいでいる」現在の親たち、夫婦、家庭に、小説家の感性と洞察力で展望と温かいメッセージを送ってくれているからです。その藤原さんに港区白金台の自宅でお話をうかがいました。
「夫婦の絆」が弱まっている
『家族を「する」家』は、日本の社会を支えている家族が、これからどうなっていくのだろうかという観点から書きました。今までは、親子関係が家族だというふうに捉えられてきました。しかし私は、その前に夫婦の関係があると思うのです。そして今、その大事な夫婦の絆が弱まっているのでは、と思うのです。
現在の家族の運営、言い換えれば家族をすることの大半は「情報処理」なのです。その意味で、情報社会を変えるのは企業や社会ではなく家族関係ではないか、と私は考えています。
子供の誕生会を例に考えてみましょう。誕生会をする時、若いお母さんたちはまず、誰を呼び誰を呼ばないか子供からの情報を元に出席者リストを作ります。そこでは、子供同士は仲が良くても母親同士が折り合いが悪いとか、呼ばれなかった子供が仲間はずれにされないかといったことも加味しなければならないので、極端に言うと結婚式の出席者リストを作るより難しいのです。次に、どこで開くかです。家かファミリーレストランかホテルか。そうです。塾選びなども同様で、その次には、プレゼントに対するお返しをいくらにするかを考えなければなりません。高過ぎず、安過ぎずがポイントです。お母さんたちは、そうした情報処理に1カ月近くもかかりっきりになるのです。
一見つまらない、大したことではないように見えるかもしれないが、決しておろそかにはできないのです。なぜなら、それによって子供の友達関係が変わることも考えられるからです。これは、まさに選択と判断を迫られる情報処理です。その大半を母親がしているのです。こうした情報処理が現在の家庭ではとても多くなっているのです。
家事労働は、かつての炊事・洗濯ではなく、実はこの情報処理が大半を占めているということに、男(夫・父親)たちはほとんど気づいていないのです。だから、妻の相談に乗ってやり、夫婦の対話によって彼女の悩みやストレスを解消してあげられないのです。しかも、昔なら地域社会が助けてくれていた部分が減って、夫婦の間だけでこなさなければならない情報処理がものすごく増えているのに、です。こうした時代の変化、基盤の変化を捉えきれないまま、家族と家族の意識が変わっていないところに「ゆらぎ」が生じているのです。実際、夫婦の絆が弱まったことで、母親による殺人など悲惨な事件がたくさん起きています。
絆を深めるのは対話の場所の寝室
それだけに夫婦の絆を深める対話の場所が重要なのに、そのための場所である夫婦の部屋、寝室が住まいの中にないといってもいいのが現実です。もしかすると、夫婦の部屋が家の中で一番貧弱かもしれません。
理想的には子供部屋の2倍くらいあり、そこでしっかり話し合いができることが大切なのです。親の側は子供のために我慢していると思っているかもしれませんが、そんなことは子供には伝わっていないのです。子供部屋はむしろ安普請でもよいけれど、夫婦の寝室はドアも重厚なものにして、子供たちがその違いをはっきりと認識できるようにしなければならない、と私は思うのです。
思考力・創造力を結実する「内なる言葉」を持とう
では、なぜこうした今日の状況が生まれたのでしょうか。私は、言葉の力が弱っていることが大きな要因だと思っています。現代人は、瞬間的な情報を視覚で受け取り消費することが多くなっていますが、そうした視覚偏重の時代風潮のなかにあって、内省し、心の中で言葉を組み立てる思考力、想像(創造)力がかなり貧困化してきているように思えてならないのです。
ヘッドフォンをしてコミック雑誌を読みながら道を歩く、大量の情報を消費している現代の若者たちは、情報ツールの何もない空間に数時間といられなくなっているのではないでしょうか。
本来、孤独に耐えられるのが人間で、その孤独に耐えるために必要なのが思考力、想像力なのです。しかし、今の子供たちは、「自由に空想できる時間は退屈な授業中くらい」と皮肉な言い方があるくらいに、とにかく忙しい。そんな状況では、自分自身で考えたり、想像したりする力は、かなり失われてしまうのではないかと思うのです。

思考力、想像力を結実するのは言葉です。その言葉には内側をめぐる言葉(内なる言葉)と外側をめぐる言葉がありますが、いま、内側をめぐる言葉が失われつつあるのが気掛かりです。外側をめぐる言葉ばかりになっているのです。例えば、Eメールやインターネット、携帯電話は外に噴出する言葉です。その外に噴き出す言葉は、内をめぐる言葉によって支えられていたはずなのに、それが空洞化しつつある。外側をめぐる言葉ばかりになっているのです。
作家の仕事に即して言いますと、内なる言葉をつくっているのが文学なのですが、今日、書き手の側も読者の側も、それが弱っているのです。本を書く、本を読むというのは、とても忍耐力が必要なことなのですね。
問題を解くカギは夫婦が握っている
これを家族で考えてみましょう。現在の社会は家族以外に子育てのシステムを持っていません。表現を変えると、家族と家族の愛情によって子供を育てていく以外の方法を私たちは持っていないのです。
それだけに、情報処理と対話の場所である家庭に言葉を復権させなければ、人間にとって大事な「内なる言葉」がなくなってしまいます。まず男と女が出会って家族を作るわけですから、この問題を解くカギは夫婦が持っているとの認識を私は持っています。夫婦に対話がないのに親子に会話が生まれるはずはないのです。夫婦のコミュニケーションがとれていないのに、家族の団欒があるはずはないのです。夫婦の関係、男と女の関係に、言葉を含めた豊かなコミュニケーションをどれくらい復活させられるかが求められているのだと思います。この点を私たちは、ルーズに考えすぎていたのではないでしょうか。
大きく変化している今日の時代、情報社会にあって、阿吽の呼吸とか以心伝心とかは全く通用しなくなっているのです。問題は、言葉に出して解決していかなければならないのです。まだ「そんなことはない」と思っている夫婦がいるとすれば、その人たちは大きな誤解をしており、ある時突然、家族・家庭の中に大きな亀裂が入っているのに気づき、茫然自失することになるのではないでしょうか。
(談・まとめ 編集部)
※家族のあり方に鋭いメスを入れた藤原さんは、今度は筑豊の炭鉱を舞台に、そこに生きた、ある家族の歴史を通して、これまでどの作家もやれなかった「日本の100年」を描くべく、取材と構想づくりを進めている、と話してくれました。大作の完成が待たれます。