福岡一成(中学26回)

校長の大温情で福中生に
昭和22年、旧制福高受験に落ちて、鹿児島県の川内中学から福中5年への転校試験を受けた。当時の今井校長から「何ができなかったか分かっているか」と問われた。すぐに「数学です」と答えると「分かっているなら合格させてやる」。なにか珍紛漢というか大温情で福中生となった次第。
福中卒が10年後、運命を大きく変えることになる。昭和34年に大阪商事(現新光証券)を経て、現在の立花証券に転職する際、創業者の石井久社長が「ウーン、福中出身か、福中出身なら優秀だ、うちの調査部を立ち上げてくれ」と即決。後で知ったが、石井氏は福岡市の近くの大野城市出身。家庭の都合で高小卒で実社会に出て、昭和28年に証券会社を創業して6年後の35歳、小生28歳の時であった。
石井社長の「福中卒なら優秀!」という思い込みゆえか、大変なシゴキが始まった。各方面への取材に同伴させられ、そしてレポートの提出、討論の繰り返し「君の記事は難しすぎる学者先生のレポートじゃない・お客さんの八百屋や魚屋のおかみさんでも分かるような記事を書け・・・」と幾度も注意される始末。
また、突然「どこそこの会社の資本金と売り上げ利益は」と質問が飛んでくる。会社要覧に手を伸ばそうとすると「モー、イーイ!」と、即答できないと1週間モノを言ってもらえない。仕方なく会社要覧をマル暗記せざるをえない(当時の上場会社は現在の5分の1ぐらい)。お陰でお客さんからは「君はよく知っているなあ」と、株の注文が増える好回転。毎日が数字数字の連続で、福中時代の数学の劣等生がどうにか生きのびられた。
福中・福高卒”加油”
これも入社早々のころの話。石井社長がゴルフを始めた(3年後にはハンディ4に)。ある日、私の方を見て「君はゴルフはダメ」のご託宣。不審な顔をすると「君は金も暇もないはずだ」と。なるほど・・・と、納得しながらも「日曜日はすることがありません」とやり返す。「決まってるじゃないか勉強、勉強」。福中卒に感謝すべきか恨むべきか・・・。
ゴルフの許可が出たのは社長を拝命した昭和63年、私の58歳の時。以来、70歳を超え会長となった今も、なぜか、始めた年齢の半分の29でハンディは止まったまま。石井オーナーは「僕は下手とゴルフはやらない」と、いまだにゴルフの付き合いは皆無の状態。
証券業は勉強がすぐ実績につながる職業である。特に国際業務ではレベルが試される。20数年前、フランスの銀行で「日本のこれからの技術はエレクトロニクスとバイオテクノロジーで人間の本質に迫る」とまくしたてた。「日本を中心に世界が動くような話だ。日本人はまだ天動説を信じているのか」と相手はカンカン。フランスはカトリックの国。人間の本質云々が勘に触ったらしい。そこで、宗教を知るため、森本哲郎氏の『そして文明は歩む』を読み、目から鱗・・・。日本の学校教育で宗教、民族、そして文明・文化のかかわりを教育しておかないと、日本はグローバリゼーションの捨て子になりかねない。福中、福高卒健児、淑女、加油(中国語ヂアヨウ=頑張れ)。

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