池田修治(高37回)
福高の3年間、私の中では野球部での「不完全燃焼」が今でも心に残り、また現在の私のエネルギー源になっています。当時は、ラグビー名門の福高において数少ない、野球部が輝いていた時代でした。入学し、すぐに野球部に入部した私の目には、当時の先輩方はとても大きく映り、また同学年のメンバーも体の大きい者が多く、やっていけるか心配でした。その後チームは力をつけ、私が2年生の時(昭和58年)には、「あと1勝で甲子園」というところまでいきました。
しかし、私はバッティングに難があり、3年生でもレギュラーにはなれず、せめて試合に直接かかわりたいとの思いから3塁コーチャーをさせてもらうなどして最後の夏が終わりました。3年間、野球をやり終えたものの、正直言って「達成感」は得られませんでした。それで、うまくもないのに大学でも野球部に入りました。同学年のメンバーは実力者揃いだったが、大学では誰も本格的な野球を続けていなかったようです。私は大学ではレギュラーになり、常時試合に出たものの、やはり貧打は克服できず、リーグ戦の打率は1割台を抜け出すことなく、そのまま4年間が終わったのです。
それから、あっという間に10年以上が経過した3年前の秋、仕事に余裕ができた時期があり、衰える一方の筋力のことは顧みず、高校時代、いや、もっと前から思っていた「打てるようになりたい」との思いが強くなり、地元の草野球チームに入団。毎週日曜日、自分より5〜10歳若い連中と一緒にプレーするようになったのです。チームには元甲子園球児やノンプロ経験者もいてレベルは高いが、昨年はレギュラーで打率4割を達成したのです(しかし、1年に2回も肩を脱臼してしまったけれど)。
今、野球を続けていることが生活に張りを与え、仕事にも家庭にもいい影響を与えています。高校時代に野球で「燃え尽きなかった」ことが、良かったのかもしれません。