山本健二(高3回)

昨年10月26日、福岡銀行本店大ホールで江口保之先生(昭和22年から42年まで在籍)の追悼リサイタルを行ってきました。ロビーには先生の遺影が飾られ、開演前、誰もいないそのロビーで私は先生の遺影に、その日の歌に魂が込められた歌唱が出来るよう、お願いの黙祷をしていました。
思いは51年余り前にさかのぼります。それは昭和24年の秋、私が福岡高校の2年生のときでした。
ピアノを弾きながら五線紙に音符を書き込んでいる先生は、いつも違う雰囲気を漂わせ、メロディや和音もあまり耳にしたことのないものでした。恐るおそる「なんという曲ですか」と尋ねたところ、先生は「白秋の『邪宗門』を作曲しているが難しいな」の一言。
そのときの不可思議で幻想的な音は、その後も時折脳裏をよぎっていました。
4年前に先生にお会いしたとき、ふと思い出してその後“邪宗門”はどうなりましたかと伺ったところ「まだできとらん」と言われたのですが、その4月先生は病のため死線をさまよう経験をされました。

ところがその11月突然、邪宗門の第二詩篇“邪宗門秘曲”の楽譜が送られてきました。それは今までの日本歌曲にみられない壮大な構成力をもつものでした。病身でそのうえ間もなく傘寿を迎えられる先生の、どこにこれほどのエネルギーと気力があるのかと驚嘆しました。
その旋律と和音と曲想の展開に感動した私は、凄い曲を書かれましたねと申し上げると「うん、何か書き残しておきたいと思ったのでね」と言われました。死線を乗り越えられた先生が、生のあかしとして書かれたものと受けとめました。
スケールの大きい幻想的な音の世界に魅せられた私は、リサイタルプログラムのなかの一つを邪宗門の曲で組みたいと思い、“謀叛”を含めあと3曲作って下さいとお願いしました。後になって、病後の先生に何という無理なことを言ってしまったのかと後悔しましたが、その後次々と作品が送られてきました。しかし先生は、歌う曲は君が選んで歌えばよい、僕の作品だからといってすべて歌わなくてもよいのだよ、とおっしゃっていました。
先生ご自身も一昨年末、どうしてもこれだけは作曲したいと作られた“帰去来”を私の録音を聞いた後、書き直したいところがあると言われたのです。永遠の世界へ旅立つ際まで、詩と音楽への純粋さを求めていたのです。(因みに、帰去来の詩には先生の半生と重なるところがあるのを、お手紙の中で知りました)
亡くなる半年前のその頃は、頭の中は音がいっぱいかけ巡るのに指が痛くて一小節書くのがやっとなんだよ、とうかがっておられました。それでも書き続けたのは、自らの生へのあかしと作曲家魂のなせるものだったに違いありません。
リサイタルのプログラムには先生の作品の中から、詩集『邪宗門』の巻頭を飾る“邪宗門秘曲”並びに最高傑作といわれる“謀叛”の大曲と小品の“空に真赤な”“ほのかにひとつ”の4曲を選び歌いました。
昨年5月7日、81歳の生涯を閉じられましたが、先生の魂は作品とともに私たちの心にいつまでも残るものと信じています。

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