ただ今、酒の本26冊目を執筆中
稲保幸(高5回)
「一歩でもいいからゴールに向かって進め」
人文地理のジィさん(竹村先生)は、授業の半分は冗談を言って生徒を笑わしました。曰く、
「スペインの家屋はトタン屋根が多く、真夏は屋根が焼けている。スズメも屋根が熱いことを知っていて、いつも電線にとまる。スズメの餌を屋根の上に投げてやると、餌から湯気が出て美味しそうな香りが立ちのぼる。餌を求めて屋根に舞い降りたスズメのやつ、足をやけどして転がり落ちる。地上に転がり落ちるまでにスズメはほどよく焼けている。スペインの人たちは、シェリーという旨い酒を飲みながら上から落ちてくる焼き鳥を肴にする。これが旨いのだな$301C」
ジィさんは、生徒が喜ぶと得意になって講義したものです。生徒はどこまでが本当で、どこからが嘘か判断に苦しみました。私は当時から放浪癖があったせいか、話題が世界に広がる先生の講義が好きで、好きだから人文地理の試験はいつも満点でした。
漢文の教師はカッパさん(小野先生)で、高校日本一のラグビー部の部長も務めていました。
「ラグビーの試合には補欠がない(当時)。10人倒れたら、残りの5人で戦うのだ。戦力が落ちても負けたら理由にならない。ボールを持ったら後ろに回さず一歩でもいいからゴールに向かって進め」
この教訓は、今でも私の人生哲学の中のひとつとして脳裏に刻み込まれています。またカッパさんは、自分の担当する漢文が不人気なのを自覚していて苦労されたようでした。「今度の試験には、なんでもいいから漢字だけで文章を書け。そいつには20点やる」と公約したのです。そして、試験には公約どおりの問題が出たのです。
「酒、量なくば、乱に及ばず」と、私は漢字だけの文章を書いて、苦労した漢文もぎりぎりでクリアしたことを覚えています。私が書いたこの漢文は、教科書には載っていません。どうして書けたのか定かではありませんが、カッパさんの授業のとき、ノートの片隅に書き込んでいたのは間違いありません。
思春期に受けた教えは強烈に人生に影響を与えるもので、20点いただいた「酒」と、ジィさんに放浪癖を駆り立てられた教えの影響で、その後の人生を送るようになったのでした(実は、私は『世界酒大事典』など酒の本があり、現在、26冊目を書いています)。

世界のカクテル大事典(上巻) A$301CF
稲保幸
しゅるい研究社
SHURUI KENKYUSHA
初めての夫婦同伴の同窓会を開催
昨年の在京同窓会は、美人の奥さんを射止めたやつが幹事でした。こいつが、何を思ったのか、初めて夫婦同伴の同窓会にしたのです。この企画は不評で、女性軍の総スカンを食らっただけでなく、男性軍も、奥さんたちを連れてきたかったのか、多くが単独参加になりました。無論、私も単独組で、出欠の葉書に「うちのやつが足を痛め、お座敷に座れないため」と書いて出したのに、会場の椿山荘は椅子にテーブルとあって、バツの悪い思いをした次第です。
一方の同伴組というと、いずれも甲乙つけがたい美人を伴っていました。そして、みんな50年の時間を巻き戻し、敬称略の「オイ、オマエ」で旧交をあたためたのでした。
私を変身させた学び舎、ヒューマニズムで繋がった友
毎日、酒の研究と言って酒を飲み、時間があれば酒を求めて旅をしている私ですが、どこの国、どこの土地を訪ねても、私が注文すると私にだけ同行者と違う酒が出ます。すると、「凄い語学力ですね」と知らない人は言います。しかし、私の知っているのは世界の酒の名前だけなのです。
それでも確かに、毎日、日本の本を読まず横文字の本ばかり目を通していますから、中国の酒の事典を書いている間に中国語を覚えましたし、世界の酒の事典を書いていて英語を覚えました。高校時代、一番不得意な科目が英語で、日本語の国語まで悪かったことを思うと大変な変身です。
高校、大学とは何だったのだろう。私を変身させた高校。当時とは変わり果てた博多の町に、わが学び舎は建っていました。その学び舎の前に立ち、一人考えました。私にとっては「勉強のやり方」を教えてくれた所だったのかもしれません。そして、青さん(山本先生)の時間に習ったヒューマニズムで繋がった友を沢山つくってくれた所だったのかもしれません。