ラガーマン最高の栄誉「キャップ」の友と…… 

諸岡健治郎(高1) 

初回の会合からしばらくして、幹事役をしてくれた渡辺哲司君が日立製作所の子会社の社長として栃木県へ転勤することになったので、その壮行会を兼ねて昭和五十八年二月十七日に湯島の玉善という小料理屋に集まりました。その顔触れは大石勇吉、片山伸也、國崎一郎、志波正孝、田渕靖昌、土屋英明、平野治、帆足昭蔵、三亀順蔵、宮石哲郎、宗像博人、諸岡健治郎、渡辺哲司の各君、それにその日、福岡から上京して来ていたラグビーの宗博之君も加わり、十四名となりました。 

当日は土屋英明君が、ラグビーの「キャップ」(国代表チーム同士の公式国際試合に出場した選手に与えられるラガーマン最高の栄誉)の授与を受けて間もない時期だったので、「どんなものか」という同期生たちの要望に応えて、照れながらも現物を披露してくれたのです。同席者も、またとない記念だと互いに被りあったりして会が盛り上がったものでした。 

そして、昭和十八年入学の我々の集まりを「東京福中一八会」と正式に名付け、会長には昔からのガキ大将がよかろうということで、土屋君が引き受けさせられたのでした。そして、いつもの調子で「今度の一八会は、もう少し広かところでカラオケば置いてパーッとやろうや」とか、「オキユウトば切らせるけん、二次会に行こう」など大いに語り合ったのです。 

が、思えば、それが彼との最後の会話となってしまいました。彼はその年の六月十三日、心不全のため突然逝ってしまったのでした。まだ五十四歳の働き盛りでした。 

※前号で紹介した築地の新三浦での同窓会の出席者に大石勇吉君の記載を漏らしていました。お詫びして訂正します。 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です