―山本健二さん(高3回)リサイタル潜入記―

1本の電話が私に幸せなひと時をもたらしてくれた

80歳以上の卒業生の窓口を担当していた私に、山本健二さんから6月5日東京文化会館でのリサイタルへの招待電話が届いた。透き通った鈴が転がるような声が耳元に心地よく響き、生の声を聴きたい一心で友人を誘って上野まで足を運んだ。

昔はみずみずしかったであろう人々で会場は満席。

北原白秋の美しい日本語が美しい声で私の耳に届く。第一部は『この道』、『からたちの花』、『城ケ島の雨』、『浅間の馬子』と続く。この4曲と第二部の『かなりや』、『赤とんぼ』、『月の沙漠』は、パンフレットに解説が掲載されており、詩を深く理解することができた。哀愁を帯びた『城ケ島の雨』の旋律がとても好きである。この詩は白秋が不幸な恋愛事件の後、死を決意して三浦三崎を訪れた時の心情から生まれたものだということをこの年齢になり知った。白い上着を着た王子様と王女様は広い沙漠をどこに行くのだろうかと問いながら、『月の沙漠』を子供のころよく歌った。目を閉じて聴いていると手回しの蓄音機を前にして弟と遊んだ情景が現れる。

第三部は、谷村新司さんの『昴』、長淵剛さんの『乾杯』、『イヨマンテの夜』を張りのある透明な声で朗々と歌い上げた。「ケンさん、お疲れになったのでは?」と司会者が揶揄すると、会場は爆笑。

軽妙な司会者の進行に、会場はいつしか一体化して山本健二ワールドが出来上がっていく。山本健二さんが30年にわたり指導をなさっている共立女子大学合唱団のOGで構成する「SAKURA」の方々、早稲田大学グリークラブのOBの方々も加わり、リサイタルにより豊かな表情をもたらしていた。

第四部と第五部は、昨年生誕100周年を迎えた早稲田大学グリークラブ専任指揮者であった磯部俶作曲の7曲。その中には阪田寛夫作詞による『日本のユーレイ』という初めて聴く歌があった。

第六部は、『荒城の月』、『初恋』、『落葉松』の3曲。『荒城の月』は、日本歌曲の第一号といわれており、廃藩置県によって取り壊された全国二百七十余藩の城に、土井晩翠と瀧廉太郎が捧げる鎮魂の歌であると説明があった。

山本健二さんのリクエストでグリークラブOBが歌った『この街で』、会場のみんなも参加した『遥かな友に』の2曲には、目頭が熱くなるものを感じた。『この街で』は、2000年に松山市が募集した「21世紀に残したいことば」で松山市長賞を受賞した、 「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」から生まれた歌。『遥かな友に』は、1951年のグリークラブの夏合宿の時、はしゃいで寝ない新入部員を寝かせるために磯部俶先生が即興的に作った歌。私は、亡くなった高校時代の友たちや夫に語りかけていた。

ジム通いの筋肉老女が、束の間、若き乙女の心情を取り戻したひと時だった。

大田ヒロ子(高20回、前東京福中・福高同窓会副会長)

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