海外生活、やって見るもんだ!!
財産となる仲間がいっぱい
松島成企(高7回)

もう5年前になる。60歳の定年を自ら決め、とりあえずはスペイン語の勉強をと、家内と愛猫を伴ってバルセロナ郊外に5年契約で住まいを借りた。
5年ともなると、ただ単に生活するというだけでは芸がない。現地で何かお役に立つことが何かないかと考えた。幸い数年前から日本語教師の勉強をしていたので、それが役に立てばと考えていた。
ちょうどその時、バルセロナ郊外の小さな街カネット・デ・マールに日本センターがあることを知った。どんな活動をどの程度しているのかという詳しい情報はなかったが、少なくとも日本センターと名がつく以上、何かお手伝いすることがあるだろうと漠然と考えていた。
日本センターのメンバーの中に彫刻家の外尾悦郎氏(高25回)の名前を発見したのは、それからしばらくしてからである。外尾氏がサグラダ・ファミリア教会で仕事をされているのは先の「朝ぼらけ」の記事で知っていた。
日本センターのこともカネット・デ・マールの住宅事情のことも、外尾氏に聞くのが早道と、失礼を承知でコンタクトを取った。
外尾氏は快く応じてくださった。本当に親切な方である。家探しを目的にバルセロナに出掛けた1週間の中に、お会いすることができた。そして、不動産屋を紹介していただき、日本センターにも案内されて、その活動状況も説明していただいた。
それから約1カ月後、長い砂浜に面した5階建てのピソ(日本流に言えばマンション)の4階に居を構えた。広さ約120平方メートル、4ベッドルームに広い居間とキッチン付きである。浴室も2つ付いている。家賃は月約4万円。
広いベランダからは180度地中海を望め、毎朝左右20度の水平線から太陽が昇る。かねてより「一度は海の見える白い家に住みたい」と思っていたものが、白い家ではないが地中海という思いがけない形で実現したわけである。
しかし、「住む」という現実はかなり厳しいものがあった。その一番は買い物である。東京にいた時は週に1度まとめ買いして車で運んだ。町外れにあるピソから市場やスーパーまでは歩いて20分程度かかる。果物がなくては生きていけない妻にとっては、かなり重い荷物になってしまう。私の背中のリュックが頼りで、月曜日から金曜日まで週5日スペイン語学校へ通う学生親父の土曜日の仕事である。
土曜日は暇なので日本センターのお手伝いも、と考えていたのも甘かった。第一、日本センターは何も活動していなかった。外尾氏によれば、もともと市長さんが日本企業の誘致になれば街の活性化につながると安易に考えて始まったことで、十分な戦略と準備があったわけではなかったそうである。
それに加え、バルセロナを拠点にヨーロッパ一人旅しか楽しみのない妻には、それ以上カネットに暮らす意義は見いだせなかった。そして、10カ月を過ぎる頃から「もう幾つ寝ると帰れるか」と冗談交じりに歌うようになった。
5年の計画を1年で切り上げたのであるから、挫折といえば挫折かもしれない。しかし、1年間スペイン語を勉強し、帰国後も細々とそれを続けているお陰で、インターネットを通じて老若男女たくさんのスペイン語仲間ができ、それが今では大きな財産だと思っている。
(ホームページにエッセイを載せています)
http://www3.justnet.ne.jp/~shigeki_matsushima/

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